HIDEKI'S 連載 COLUMN SI住宅

(書き下ろし連載にあたって)
 私は、建設省建築研究所に在籍時、スケルトン定借(つくば方式)の開発(1992〜1998)に続いて、SI住宅の普及をはかるプロジェクトに携わった(1997〜2001)。この連載では、私自身の裏面史を交えつつ「SI住宅」の真実をお伝えしたいと思う。


連載14 つくば方式マンションのその後2−大正時代の建物、求道学舎の再生


 つくば方式マンションの第1号は、つくば研究学園都市で1996年に完成した。その後、東京、横浜、大阪、神戸、京都、前橋と、実現例が増えていった。今回は特徴ある事例の秘話だ。
 この回想録には実名が登場するが、皆さん、つくば方式を応用して実践された優れた建築家、企画者の方々だ。もし、この記述内容に誤りがあったとしても、それらの方々には一切の責任はない。すべて、私の責任であることをお断りしておきたい。

企画者の方々との出会いは楽しい

 つくば方式には、いくつか特色あるプロジェクトがある。一つは、環境共生住宅、もう一つは、古い建物を再生した住宅だ。いずれも、普通のマンションでは実現が難しい。というのは、テーマが特別なことに加えて、建築費が高くなるからだ。「特殊な住まいで値段が高い」としたら、どうだろうか。分譲業者は尻込みしてしまうだろう。

 では、つくば方式を用いると何故実現できるのだろうか。理由の一つは、土地が借地のため、建築費が高くなっても住宅価格を抑えられるからだ。もう一つの理由は、コーポラティブ方式にある。あらかじめ、特別な住まいを求める人々が集まり、建設組合をつくって発注する。そうすれば、事前に見通しがたてられる。

 もっとも、このような理由は、二人の卓越した企画者から教えて頂いたものだ。建築家の近角氏と環境コーディネーターの甲斐氏である。お二方の企画によって、前例のないプロジェクトが実現した。そして、建物が完成した後で、「そうか、つくば方式には、こんな使い方があったのか」と気がついた次第だ。
 まず、求道学舎の再生プロジェクトから紹介しよう。

SI住宅設計の第一人者に出会った

 建築家の近角真一氏に最初にお会いしたのは、随分昔のことになる。私の大学の先輩であり、何よりもSI住宅設計の先駆者のお一人であった。

 近角氏が設計された住宅として、スケルトン・インフィル住宅の金字塔といわれる大阪ガスのNEXT21実験集合住宅がある。実験と名はついているが、SI住宅の理想を建物として実現したもので、人々が実際に住んでいる。大阪の清水谷町に現存している。

 近角氏は、その設計者であり、かつ、これから紹介するように大正時代の建物をつくば方式で再生された方だ。いわば、SI住宅の理想形から、実際の経済的な条件まで知り尽くした第一人者であるといってよい。

 近角氏と最初に仕事をさせていただいたのは、私が担当したマンション総合技術開発プロジェクトであったと思う。そこで、SI住宅のモデル事業の一つとして、スケルトンの中に古い数寄屋を移築するプロジェクトがあった。

数寄屋をスケルトンに移築した!

 そのモデル事業は、つくば方式東京3号の近衛町アパートメントハウスの集会室が対象だ。近衛町アパートメントは、文豪・舟橋聖一のゆかりの地に立地する。そこに、舟橋聖一が執筆に使われていた古い数寄屋が建っていた。それを取り壊すのは惜しい。そこで、一旦解体して保存し、マンションが完成した時に集会室スケルトンの中に、それを移築する企画が進められた。

 この移築事業は、スケルトンとインフィルを完全に分離することの良さをわかりやすく示しており、モデル事業の一つに選定された。近角氏は、建築家である奥さんと二人三脚で、これを設計監理する仕事に携わった。

 とはいえ、都心部であり、集会室の大きさは限られている。そのままの移築は困難で、一部は切り落とすなど設計に工夫が求められた。さらに、換気をどうするか、水まわり設備はどう新設するかなど課題は多い。難しい設計監理であったと思う。それを順調に進めて完成した集会室は、スケルトンとインフィルの分離が一目で分かる特徴ある建物となっている(写真)。


 集会室の中に数寄屋を移築(2000)

スケール感を伝える写真の大切さ

 そのプロジェクトの前後に、近角氏がつくば研究学園都市にある建築研究所に来訪された。その際に、メソードつくばTを案内した。現地での氏の言葉だ。「写真でみる建物と全然違う。大きい。本格的なSI建築ですね」。この言葉は、今でも記憶に残っている。その理由は、写真の大切さを教えて頂いたからだ。
 実は、それまで紹介に用いていた写真は、素人の私が撮ったものでスケール感がまったく出ていなかった。「そうか、写真をおろそかにしていた」と反省した。氏の言葉を今でも覚えている所以だ。

大正時代の古い寄宿舎が放置されていた

 その後も一緒に仕事をさせて頂いたが、ある日のこと、別件で相談があるという。それがいつだったか記憶は定かでない。たぶん、数寄屋事業から1〜2年後のことだったと思う。

 「本郷に大正時代に建てられた寄宿舎が放置されている。それをつくば方式で再生できないだろうか」。
 実は、近角氏の御祖父は、宗教家・近角常観であり、本郷の地に求道会館と寄宿舎を建設されていた。設計は、著名な建築家、武田五一だ。今日、すでに宗教法人としての活動は縮小し、建物は放置されているという。

 その建物の文化的価値は高い。これを再生しようと近角ご夫妻の大変な努力が開始された。まず、会館を再生しようと、1994年に東京都の有形文化財の登録を受けた。それを契機に地道に資金を集めて再生工事を進め、ようやく2002年に再オープンするに至った。一見の価値がある貴重な建物だ。しかも、利用を申し込めることが素晴らしい。私もここで開催されたパーティに何回か参加している。

 とはいえ、近角氏のお話では、喜んでもいられないという。利用料だけで会館の維持費を賄うことは難しく、別途、もうひとつの寄宿舎の活用で収益をあげることが必要であった。その活用方策としてたどり着いたのが、つくば方式による古い建物の再生事業であった。


 求道会館(登録有形文化財、2002年再生)

最初は面白いと思ったが現地を見て尻込み

 「面白い、ぜひやりましょう」。もちろん、古い建物につくば方式を応用するのは初めてだ。それだけに事業化の価値がある。「応援します」と威勢良く答えた。そして、後日、現地を見学させていただいた。

 本郷の東大近く。道路沿いには、再生に成功した文化財・求道会館が建っていた。そして、その脇の細い通路を入ると、奥に求道学舎があった。それをみて押し黙った。朽ち果てたコンクリート建物で、外壁は蔦で蔽われている。長年放置されていたため荒れていた。これを再生できるのだろうか。思わず尻込みした。

 とはいえ、同時期の会館はりっぱに再生している。しかも近角氏は、建築専門家として再生に自信をもたれているようで頼もしかった。とはいえ、問題は資金だ。そこで、つくば方式によるコーポラティブ事業が応用できないか、というのが近角氏のアイディアであった。

近角氏を中心にチームが編成された

 その思いに応えるためには、入居者募集や金融を担当するコーディネーターが必要だ。しかも古い建物の再生だ。住宅ローンが簡単ではないことが予想され、相当の熟練者でないと務まらない。そうだ、適任者がいる。アークブレインの田村誠邦氏だ。

 実は、田村氏は私の大学の同級生だ。建築・不動産コンサルタントを経営しており、つくば方式マンションの共同開発グループの一員だ。ここまで、2プロジェクトでコーディネーターを担当しており、近角氏とも知り合いだ。これ以上ない人材であった。

 近角ご夫妻、田村氏と役者はそろった。しかし、もう一つ、近角氏は気になることがあったという。やはり築70年を越えた建物だ。コンクリートの再生技術の検証が必要だ。こちらは、私が所属した建築研究所が得意とする分野だ。

 しかし、私は2002年に千葉大学に異動した。そこで、担当したのは優秀な後継者である藤本秀一氏だ。藤本氏は、建築研究所の材料分野の専門家に声をかけ、技術的検証を支援した。もちろん、国の研究機関だから大義名分がないと支援できない。藤本氏は、古い建物の再生利用は、これからの社会的なテーマだと位置づけ、支援活動を進めたという。これで体制は整った。さあ、大正時代の建物の再生事業のはじまりだ。

参加者募集が難航して憔悴されていた

 それから1年ほど経ったある日、2004年の夏頃のことだ。近角氏が千葉大学の私の研究室にやってきた。そのご様子を拝見して驚いた。やつれて憔悴されていたからだ。「入居者が集まらない」。このままでは事業が頓挫するかもしれない。しかも、広告宣伝などに初期費用をかけており、資金にも限りがある。切実な相談であった。

 確かに、通常のチラシ広告では限界がある。建物は一見すると廃墟だ。しかも、権利は定期借地権を応用している。これで何千万円もの購入を決断するのは容易ではない。このような特殊なプロジェクトは、通常の広告では入居者が集まらないことは、つくば方式1号で実証済みだ。そのテーマに価値を見いだしてくれる人々に、信用できる情報として届く必要がある。それには、新聞等のマスコミが最適だ。

 もちろん、マスコミが取りあげるには、ニュースバリューが必要だ。しかも、宣伝臭があると避けられる。その点、求道学舎プロジェクトは、大正時代の建築を住民主体で再生するもので、発信の仕方さえ間違えなければ、必ずマスコミが取りあげてくれるはずだ。

 このとき私は何を話したのか、記憶はあやふやだ。恐らく、マスコミへの発信をアドバイスさせて頂いたのではと思う。

新聞をきっかけとして入居者が集まり始めた!

 それから近角氏や田村氏がマスコミに働きかけ始めた。私も、マスコミ関係者と会うたびに、大正時代の建築を集合住宅に再生するプロジェクトがあるから取材することを勧めた。それらが相乗効果を生んだのだろうか、2004年9月15日、読売新聞の都民版に記事が掲載された。「築78年、集合住宅に再生」という記事だ。それが転機となった。

 その後、日経新聞、東京新聞、朝日新聞と続いた。とくに、東京新聞は、同時並行したもう一つのつくば方式、緑を残す環境共生プロジェクトと一緒にして、大きな記事を掲載した。この記事は、緑や歴史的建造物を残したいという地主側の思いに着目した印象的なものであった。しかも、近角ご夫妻の大きな写真入りだ(すてきな写真でした)。これで成功に向かうだろうと確信した。

 2005年冬には入居者がほぼ集まり、建設組合発足の準備が整った。近角氏のお顔も明るくなった。とはいえ、現代の建築基準法に合致させるための設計の工夫、古い建物に融資をするための住宅金融公庫との折衝、そして、中性化したコンクリートを再生する工法の検証などが残る。しかし、それらは、当時最強のプロジェクト・チームが対応する。必ず解決できるはずだ。

 そして、2006年4月に再生工事は完了した。完成式にお招きいただき、建物を拝見した。なんと素晴らしい建物だろう。現代のマンションとはひと味もふた味も違う。高い天井、落ち着いた外観。すべてが別格であった。

 翌2007年に都市住宅学会業績賞、そして2008年には建築学会賞(業績)を受賞。途中の大変な困難を乗り越えての成功だ。心からお祝いしたい。


 求道学舎の再生前


 再生に成功した求道学舎

事業の記録と思いが単行本になった

 このプロジェクトの詳細は、2008年5月に単行本になった。近角よう子「求道学舎再生―集合住宅に甦った武田五一の大正建築」だ。

 求道会館に始まり、求道学舎再生に至るまでの道のりを、文化資産の継承者として、そして建築家としてまとめている。記録として価値があるだけではなく、建物再生にかける強い思いが伝わってくる。一級の書物。ぜひ、一読をお勧めしたい。

 私は、近角よう子氏から本を頂いて拝読した。お礼状とともに感想を書かせて頂いた。後日、近角真一氏にお会いしたときに、「小林さん、ほめすぎだよ。女房が調子にのるじゃない!」と苦笑いされた。そのご様子に、ご夫婦の素敵な心のつながりを垣間見るようで、私も思わず苦笑いした。

なぜ、つくば方式を採用したのだろうか

 ところで、建築のプロである近角氏は、なぜ、つくば方式を採用したのだろうか。私としては、その理由が知りたかった。最初にご相談に見えられたときに断片的には伺っていたが、よく整理できていなかった。そこで、後日、原稿を書く機会があった時に確認させていただいた。以下の理由であった。

 一つ目は、会館と一緒になった宗教法人の敷地が対象で、売却が想定外であったこと。このため、定期借地権を用いる方式が適していた。

 二つ目は、貴重な建物であり、将来の取り壊しを予定しないこと。このため、定期借地権でありながら、建物の長期存続を可能にするつくば方式が適していた。

 三つ目は、多額の資金を借り入れる賃貸マンション経営は、リスクが大きいため避ける必要があった。

 四つ目は、建物再生に賛同する居住者が集まって資金を出し会うコーポラティヴ方式であれば、資金調達と事業リスクの問題を解決できたこと。

 以上の理由を確認させていただき、そして納得した。求道学舎プロジェクトは、住民が参加するつくば方式が適しており、逆に、それ以外の方法はなかったことを理解した。こうして、近角氏のアイディアが実を結び、大正時代の建物が、現代によみがえったのである。

連載15 つくば方式マンションのその後3(予定)

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