HIDEKI'S 連載 COLUMN SI住宅 NEW

(書き下ろし連載にあたって)
 私は、建設省建築研究所に在籍時、スケルトン定借(つくば方式)の開発(1992〜1998)に続いて、SI住宅の普及をはかるプロジェクトに携わった(1997〜2001)。この連載では、私自身の裏面史を交えつつ「SI住宅」の真実をお伝えしたいと思う。


連載6 SI方式の裏面史5−SIを輸入概念とした私の過ち


 第4回コラムで、SI住宅を「サポート・インフィル」という輸入概念に安易にしてはいけないと述べた。しかし、輸入概念としたのは、私自身にも原因がある。今回は、私自身の反省の裏面史である。

最初に謝らなくてはならない

 SI方式は、現在の通説では、オープンビルディングと呼ばれる国際建築運動を原点にもつとされている。しかし、これまでみてきたように、日本のSI住宅は、関西の裸貸しに始まり、社会党の提案を通して住宅政策の表舞台に登場し、コルビュジエに師事された吉阪隆正先生らの人工土地構想と出会って、京大の西山夘三先生が定式化したことに始まる。
 それが、京大の巽和夫研究室あるいは建設省建築研究所で脈々と受け継がれてきた。その過程で、もちろんオープンビルディングと出会っているが、原点は日本の歴史及びコルビジェにあることは、ほぼ間違いがない。
 それが、なぜ、オープンビルディングを原点にもつという通説になってしまったのだろうか。その説を定着させた原因の一端は、私自身の過ちにある。この場をお借りして謝りつつ、経緯を紹介したいと思う。

現代用語をまとめた「知恵蔵」の記述の誤り

 私は、1994年頃から長い間、朝日新聞社が発行する「知恵蔵」という現代用語集の住宅部門を担当してきた。そこで初めてスケルトン住宅を採録し、スケルトン・インフィル住宅とも呼ばれると紹介しつつ、日本の概念であると説明した。
 しかし、1996年頃に読者から朝日新聞社に手紙があり、オープンビルディングが原点ではないかとの指摘を受けた。
 当時、東大の内田祥哉研究室を中心にオランダのハブラーケン先生と交流があり、それに関わる学者からも同様な指摘を受けていた。このため、私自身がよく調べもしないで知恵蔵にその旨を書き加えた。
 「1960年代にオランダで始まった建築運動を日本の実情に合わせて修正した概念で、国際的にはサポート・インフィル(support infill)と呼ぶ」。
 なお、当時、発行部数が多かった「現代用語の基礎知識」がスケルトン・インフィル住宅を採録するのは、その後しばらくしてからのことである。
 しかも、それに加えて、私はSI住宅に関わる国の総合技術開発プロジェクトを主導していた。そのパンフレットにおいても、同様な趣旨を記載した。

巽研究室と内田研究室の共同プロジェクトの言葉は?

 それまで、日本のSI住宅は、京大の巽研究室による二段階供給論(スケルトン・インフィル住宅と呼ぶ)の系譜と、東大の内田研究室の一部による部品化建築論(ハブラーケン先生と早くから交流があった)の系譜があった。
 もちろん、建築界は実学志向でお互いに交流は深くおおらかだ。両者は一緒になって大阪ガスによるNEXT21実験集合住宅に取り組んでいる。
 そこで用いた言葉は「スケルトン・インフィル」である。参考までに付け加えると、外壁等をクラディングと呼んでいる。
 その主導者のお一人であった深尾精一先生は、日本は欧米とは異なる経緯をもっているためスケルトンという言葉が適切ではないか、と話されている。実は、深尾先生は内田研究室のご出身だ。さすが内田研究室は現場感覚に優れ懐が深いと感心する。
 ところが、1990年代末頃から、日本のSI住宅はオープンビルディングを原点にもち、それを日本風に修正したという説が広まり始めた。一部では、修正ではなく、矮小化したという批判も聞かれた。
 その一端が、私自身にあったとは....恥ずかしい限りである。

ウィキペディアの修正ルールは厳しい

 現在のウィキペディアの記述も以下だ。「スケルトン・インフィルはマサチューセッツ工科大学名誉教授のニコラス・ジョン・ハブラーケンが1960年代に提唱した「オープンビルディング」の思想より生まれたとされている。」
 私は、その修正を試みたが、修正ルールに抵触した。そのルールとは、文献などで証明された内容でなければ修正できないというものだ。
 しかし、関西の裸貸しとコルビュジエの出会いを論考した文献は存在しない。私がこの裏面史で紹介するのみだ。
 その一方で、SI住宅とオープンビルディングのつながりを解説した文献は、山のようにある。その走りが私自身の軽率な判断にあるわけで、罪は重い。
 その反省を込めて、この裏面史を流布させたいと思う。それが文献に登場するようになれば、いずれウィキペディアを書き換えることができるはずだ。

マンション総プロとスケルトン住宅という言葉

 通称「マンション総プロ」と呼ばれる国の技術開発プロジェクトは、1997年に始まった。私が実用化に成功したSI住宅「つくば方式マンション」(次回以降に)が1996年に完成し話題になったことを一つの契機とし、建設官僚の皆さんが予算を獲得して下さった。
 この総プロの委員長について、巽和夫先生に依頼することに何の迷いもなかった。巽先生は、弟子であった高田光雄先生とともに、集合住宅を社会的性格をもつスケルトンと私的性格をもつインフィルに分離する「二段階供給論」を提唱しており(下図)、関係者が全員一致して委員長に推薦した。
 マンション総プロは、3つの課題からなる。
 第1課題はSI住宅の規制緩和、第2課題は改修技術、第3課題はマンション建替え手法である。これらを通して、集合住宅を長期的存在として確立することを目的としていた。
 私は、プロジェクトの全体を総括するとともに、第1課題を主導することになった。
 総プロの開始にあたり、巽先生に説明に伺った時のことだ。
 第1課題のSI住宅をどう呼ぶかについて相談した。候補は3つあった。スケルトン住宅、スケルトン・インフィル住宅、SI住宅の3つである。
 予算要求段階ではスケルトン住宅としていたが、私は、巽先生は、恐らくスケルトン・インフィル住宅とされるのではと想像していた。二段階供給論がそう呼んでいたからである。
 一方、「SI住宅」は、民間企業が主体となった通産省のハウスジャパン・プロジェクトが好んで使っていた。つまり、サポート・インフィルもスケルトン・インフィルも頭文字がSIだ。言葉を気にすることなく技術開発が進められるとして、実践に便利であった。


 巽・高田らによる二段階供給方式の概念(巽研究室より)

スケルトン・インフィル住宅は輸入概念ではない

 私が巽先生に尋ねると、先生はスケルトン住宅のままでよいとされた。意外だった。スケルトン・インフィルでなくてもよいのですかと念を押した記憶がある。しかし、ややお困りになったような表情をされながら、再度、スケルトン住宅を推された。
 その時、理由を詳しく伺えばよかったが、当時若輩の私には聞けるはずもなかった。それで話題は終わった。先生が故人となられた今、その真意を確認するすべはない。
 後日、高田先生にスケルトン・インフィルという言葉の由来を伺ったことがある。インフィルはハブラーケン先生から、そしてスケルトンは、関西ではスケルトン貸しという言葉が昔から使われており、それに従ったという趣旨であった(高田先生、正しいでしょうか?)。
 そして、私自身がスケルトン住宅の歴史を知るとともに、巽先生のお気持ちを少しだけ推し量ることができるように思う。恐らく、先生は、海外の建築運動を参照した概念ではないということを伝えたかったのではと想像する。
 そのため、自らも使われていたインフィルという言葉も避けることとし、それが少し困惑された表情になられたのでは...。
 もちろん、当時それを推し量ることなどできなかった。その後、私自身が、SI住宅は海外に原点をもつと記述した....心から悔んでいる次第である。(続く)